Note 02

カラーグレーディングの因数分解 ── 「映画っぽく」と言われて、手が止まった日から

カラーコレクションの因数分解 ── 5000カットの迷宮から、設計にたどり着くまでで、カラーコレクションの話を書きました。撮影素材のバラつきを揃え、観客が違和感なく画面に入れる状態にするための作業です。ここには正解があります

今回は、その先にある工程の話です。作品全体のトーンを設計する、カラーグレーディング。ここには正解がありません。あるのは、その作品にとっての「最善」だけです。そして「最善」の形は、時代や作品や観客によって変わります。正解のない仕事を、仕事として成立させる。

私はカラリストとして、ドラマ、映画、ライブ、CMと、多様なジャンルのグレーディングを担当してきました。その過程でたどり着いたのが、作品のトーンを4つの要素に因数分解して扱う方法です。複雑な理屈ではありません。ただ、これがないと、監督の「もう少し○○」に安定して応えられない。言葉が道具に落ちず、次の作品にも経験が積み上がらない。何年もかけて、この形に落ち着きました。

なぜ4つなのか、どう使うのか。その過程を書きます。


「映画っぽく」と言われた日

試写室のドアを開けたとき、監督とDPがすでにモニターの前に座っていました。初めて立ち会いに入った日のことを、今でも覚えています。挨拶を済ませて1カット目を流したところで、監督が一言。

「もう少し映画っぽくしてほしい」。

手が止まりました。カラリストの仕事は、監督から投げられた抽象的な言葉を絵に変換することです。ただ、その日の私には、「映画っぽく」という一語を絵に変換するための道具がありませんでした。なんとかその日を乗り切ったあと、しばらく考えました。「映画っぽさ」とは一体何を指していたのか。

のちにいろいろな監督と仕事をする中で気づいたのは、「映画っぽい」という言葉の指す中身が、人によって、作品によって、ずいぶん違うということでした。ある人にとっては暗部の深さのことで、別の人にとっては肌のくすみ具合のことで、さらに別の人にとっては色の抜け方のことでした。そして、その「映画っぽさ」自体が、数年単位で動いていることにも気づきました。十年前に美しいとされたトーンが、今見ると少し違って見える。逆に、一度古いとされたトーンが、また新鮮に戻ってくることもある。技術は積み上がっていくのに、人の好みは行ったり来たりしている。

だから、グレーディングには正解がありません。正解がないなら、どう判断すればいいのか。毎回ゼロから感覚で決めるのか。それだと、監督と話し合うときの言葉も、次の作品に持ち越せる経験も、積み上がりません。私が必要だったのは、正解の代わりになる補助線でした。


「ナチュラル」も、動いている

「映画っぽさ」が数年単位で動くと書きました。もう一歩踏み込んで考えると、動いているのは「映画っぽさ」のような特殊な言葉だけではありません。「ナチュラル」という言葉そのものが、実は動いています。

ちょっと哲学的な話になりますが、私は「ナチュラル」と「ネイチャー」はほぼ同義なのではないかと思っています。私たちが普段「ナチュラルな絵」「自然な色」と呼んでいるのは、いま自分たちが生きている環境と整合する絵のことです。目が日々浴びている光、空気、画面、街の色。それらがつくる感覚のベースラインが、「ナチュラル」の位置を決めています。

このベースラインは、動きます。もし今後、VR、Apple Visionのようなデバイスで映像を見る時間が長くなり、現実より彩度の高い、刺激の強い像が日常になったとします。目と脳が慣れたあとで昔の「ナチュラル」を見ると、おそらく物足りなく映るはずです。「ナチュラル」は、時代の感覚の重心に寄り添って動き続ける言葉です。


ナチュラルとノーマルは違う

ナチュラルが動く、という話をしました。もう一つ、ナチュラルについて書いておきたいことがあります。ナチュラルという言葉は、しばしば「ノーマル」と混同されます。ただ、この二つは別のものです。

ルック作りで私がいつも意識しているのは、ナチュラルとノーマルのあいだの狭い場所を探すことです。普通の見た目は嫌なんだけど、変な見た目も嫌だ。あざとくなく、しかしそのまますぎず、一癖は残っている。ナチュラルだけど、ノーマルじゃない。監督と話していると、この温度感のことを、みんな違う言葉で言ってきます。「リッチに」「作為が見えない程度に」「もう一声」。どれも、同じ場所を指しています。

厄介なのは、「何も間違っていない絵」は、カメラと規格が勝手に出してくれることです。709でも、最近のカメラでも、ノーマルな絵は自動で出てくる。グレーディングの仕事は、そこから一歩、ナチュラルのまま、けれどノーマルとは違う場所に絵を動かすことです。その一歩に正解はなく、方向自体も数年単位で動きます。技術は上に登り続けるのに、好みは円を描いて回る。流行は螺旋状に進みます。グレーディングは、真理というよりファッションに近い仕事です。

動く基準の上で、ナチュラルでありながらノーマルではない絵を、毎回探す。動かない足場がないと、毎回ゼロからになります。4つの因数分解は、その足場として組み立てたものです。


分けられないものを分ける

グレーディングを始めたばかりの頃、私はLUTをまるごと触ろうとしていました。「もう少し暖かく、もう少し濃く、もう少し青を引いて」という監督のオーダーを、一つのカーブや一つのカラーコントロールで一気に処理しようとする。するとどうなるかというと、色相を動かしたつもりが濃度も動く。濃度を詰めたつもりがグレーバランスが崩れる。直そうとして別のパラメータを触ると、さっき整えたところがまた崩れる。あるときは、監督の「もう少し抜けを」という一言に応えようとコントラストを強めたら、空の抜けは出たのに肌が沈み、肌を戻すと今度は空が戻って、結局2時間、元の絵にも新しい絵にもたどり着けないまま、虚しさだけが手元に残って立ち会いが終わりました。

この感覚は、正解がある作業でも味わった迷宮とよく似ています。「要因が混ざっている」という問題が、グレーディングでも形を変えて現れる。ただ、グレーディングの変数は種類が違いました。カット単位・カメラ単位・フレーム単位という「適用範囲」の話ではなく、色のどの性質を動かしているのか、という「軸」の話です。一つのオーダーの中に、性質の違う軸が複数、混ざって入っている。これを一気に処理しようとすると、必ずどこかが壊れる。

やることはシンプルでした。オーダーを受けたら、それがどの軸の変更なのかを見極める。そしてその軸に対応した場所で、その変更を入れる。ここでようやく、言葉と道具の間に橋がかかりました。分ければ、手は動く。

分けられないものを、分けて扱う。この考え方にたどり着いたあと、4つの軸をどう定義するかを考えることになりました。


色は、4つに分かれる

[[diagram:grading-look-decomposition]]

前の章で触れたように、軸は試行錯誤の末に4つに落ち着きました。名前をつけておきます。色の広がり・転がり、濃度、カーブ、RGBカラーバランス。この4つ組を、私は Look Decomposition と呼んでいます。

一つずつ、何が動いて何が動かないかで定義します。色の広がり・転がりは、色相の回転と彩度の変化です。グレーは動きません。輝度も動きません。赤が少し橙に転がったり、全体の色の濃さが膨らんだりする軸です。濃度は、色ごとの輝度のことです。同じ色味のまま、青だけを落とし込む、赤だけを抜く、といった操作がこの軸に乗ります。たとえば青みがかったシャツを着た人物のショットで、青の濃度だけを深く落とす。するとシャツとその周辺は落ち込むのに、顔の明るさはほとんど変わりません。顔が前に出てきて、背景が奥に下がる。絵に立体感が出るかどうかは、ここで決まります。カーブは、グレースケールのトーン操作です。色味ではなく、明暗のコントラストを設計する軸。RGBカラーバランスは、全体のグレーのズレです。画面全体の色温度をどこに置くか、という最下層の設定にあたります。

この4つは、単なる分類ではありません。それぞれが独立して動かせるように定義してあります。色相を動かしても濃度は動かない。濃度を動かしてもカーブは動かない。4つの軸が直交しているから、一つ触って別の軸が崩れるという連鎖が起こらない。監督から「もう少し暖かく」と言われたら色の広がり・転がりに手を伸ばし、「もう少し抜けを」と言われたらカーブに手を伸ばす。言葉が、ノードに落ちる。

この4つで色の変換はすべて言い切れます。色変換処理というものは、この4つの足し合わせで、余りなく分解できる。3D LUTも、この4つの合成で説明しきれます。

ただ、一つだけ先に書いておきます。この4つは、ルック作りの必要不可欠な型ではありません。立ち会いで指示を受けたときの手の置き場としても、自分で一から組み立てていくときの見立てとしても、4つの軸は効きます。どちらの場面でも、触っている場所がはっきりしているから、手が迷わない。ただ、これ一本でルックの全工程を完成させようとすると、逆に強い制限になります。この考えから離れた一手が必要な場面はいくらでもある。そんな時は、自由に作った後で、それを分解し直したり、個別の軸だけを動かして返したりする。軸は、足場であって檻ではない。

4つに分けたのは、数学的に正しいからではありません。


数学ではなく、知覚で割る

[[diagram:grading-words-to-knobs]]

色の変化を分解する方法は、他にもあります。HSV、Lab、OKLch、ACEScctといったカラーモデルを使えば、色を別の座標系で捉えることもできる。それぞれに利点があって、用途によってはその方が扱いやすい場面もあります。ただ、私が採用したのは、カラーモデル由来の分割ではなく、人間の視覚変化の分かりやすさに沿った分割でした。

理由は、現場で一緒に作業する人たちが使う言葉に近いからです。監督やDPは、「色相角を5度回して」とは言いません。「もう少し赤を深く」「もう少し暖色側に」と言います。照明技師も同じです。「色温度を200K下げて」ではなく、「もう少し青を引いて」と言う。これらの感覚的な言葉と、4つの因数は、ほぼ一対一で対応するように切ってあります。数学の座標系ではなく、人が絵を見て感じる変化の座標系で割る。

ただ、同じ知覚軸でも、言葉への乗り方にははっきりした差があります。カーブとRGBカラーバランスは、現場の言葉に素直に乗ります。「もう少しコントラストを」「もう少し寒色に」と言えば、場にいる全員がほぼ同じ絵を思い浮かべる。一方、色の広がり・転がりと濃度は、言葉にしづらい軸です。「赤の濃度だけ落として、色相は動かさずに」と言っても、聞いた人の頭に浮かぶ絵はばらつきます。知覚に沿って切ってあるのは同じなのに、言葉が届く距離は軸によって違う。この非対称性は、あとで触れる「即応と仕込み」の分かれ目ときれいに重なります。

これは、数学と戦わずに知覚に乗る、という考え方の延長でもあります。グレーディングでは、4つの軸を知覚に沿って切ることで、その思想が道具の形になる。見えるから制御できる、の続きです。感じられるから、設計できる。

この4つが固まったことで、次に出てきたのは「何を変えて、何を変えないか」という問いでした。


即応と仕込み

4つの軸を全部同じように扱えばいいかというと、そうはいきません。立ち会いのモニターの前で、監督から「もう少し○○」と言われたときに、その場でどこまで動かせるか。軸ごとに、応答の速さが違います。

カーブとRGBカラーバランスは、立ち会いでリアルタイムに動かせます。画面全体のコントラストを一段強めたり、ベースの温度を少し寒色に寄せたり。監督が見ている絵に、ほぼラグなく反映される。だから立ち会いで「もう少し」と言われたときに、まず手が伸びるのはこの2つです。立ち会いで返せる軸がある。

一方、色の広がり・転がりと濃度は、その場で安易には動かせません。動かすと、他のシーンで破綻したり、肌と背景の馴染みが崩れたりする。一つのカットで気持ちよく乗った変化が、別のカットでは肌を沈ませることがある。作品のトーンとして通用するかどうかは、シーンを跨いで確かめてはじめてわかる。立ち会いの数秒では判断しきれません。だからこの2つは、仕込みの段階で詰めておきます。仕込みで育てる軸もある。

仕込みで土台を置くときに大事にしているのは、現場との合意です。特にRGBカラーバランスは、作品の仕込みの最初期に照明技師の方と対面で話し合って決めるようにしています。画面全体のグレーをどちらに寄せるかで、現場での適正ホワイトバランスの見え方が変わるからです。『十角館の殺人』のときは、照明技師の方と「暖色にどこまで寄せるか」を話しました。「お客さんが昭和の空気を思い出せる温度にしたい」という一言が決め手になって、色温度の数字ではなく、ある時代のある家の記憶のほうに尺度を合わせました。そこから1987年の昭和の時代感を出すためのベースを決めて、全シーンを作りました。土台は、仕込みの最初に現場と合意する。

どの軸をどこまで固定しておくか、どこまで自由にしておくかは、作品ごとに違っていいと思っています。全部を自由にしてもいいし、どれか一つだけ仕込みで固定してもいい。ただ、どの軸がその場で動かせて、どの軸が検証を要するのかは、自分の中ではっきり区別をつけておく。その区別があると、「もう少し」に即座に返せる軸と、「持ち帰って試させてください」と返す軸が、立ち会いの中で自然に選べます。立ち会いの時間は、監督が演出判断に集中するための時間です。軸を探している場合ではありません。

軸ごとに扱い方を分けるうちに、4つの因数は、作品ごとに使い捨てるのではなく、作品を越えて蓄積していける形に変わりはじめました。


秘伝のタレ

Resolveで詰めたグレーディングが、どこか破綻していることがあります。グレーディングの破綻は、ほとんどの場合、アーティファクトとしての色のバンディングです。階調の段差がはっきり見えてしまって、絵に縞が入る。もう一つは、フェイストーンがナチュラルから大きく外れて、顔色が極端に悪く見えてしまう場合。トーンの方向はいいのに、人が人に見えない、という状態です。こういうときに私がやるのは、そのグレーディングを一度LUTに書き出して、4つの因数に分解し直すという操作です。LUTにしてしまえば信号としては一本に集約される。集約された信号を、4つの軸で再構成する。するとトーンの感じは残したまま、破綻だけが落ちます。

この分解と再構成を繰り返しているうちに、自分の手元に因数ごとのパーツが溜まっていきました。暖色方向のお気に入りの色の転がり、青の落とし込みの気持ちいい濃度カーブ、ドラマに合うトーンカーブ、作品のベースに置きやすいグレーバランス。どれも軸ごとにスムージングをかけて破綻を落とし、ひと手間入れて仕込んだものです。気づくと数が増えていて、新しい作品が始まるときに、今日は何を合わせようかと棚を眺めることになる。秘伝のタレみたいなものです。

この蓄積ができると、新しい作品のルック提案がずっと速くなります。監督のイメージを聞いたあと、ゼロから作り始めるのではなく、因数ごとに「これ合いそうだな」というパーツを引き出して組み合わせる。足りないところだけ新しく作る。提案のスピードが上がり、監督と試す回数が増え、最終的に選ばれるルックの質も上がる。因数分解は、蓄積にも効く。

同じ考え方は、他人のルックを読むときにも使えます。


他人のルックを読む

リファレンスを渡されたとき、私は4つの因数で絵を読みます。この画像は色の広がりがこう、濃度がこう、カーブがこう、グレーバランスがこう。頭の中で4つのスロットを埋めていくと、「真似する」という漠然とした作業が、4つの具体的な再現タスクに変わります。たとえば海外の無料LUTを監督から「これで行きたい」と渡されることがあります。そのまま当てると、日本人の肌には少し野暮ったく乗ることがある。4つに分けて読むと、色の広がり・転がりの軸が白人肌を前提にチューニングされている、という形で原因が見えます。あとはその軸だけを日本人肌用に差し替えれば、全体のトーン感は維持したまま、顔だけがすっきりする。全体を見て感覚で寄せるよりも、確実に近づきます。

同じ方法は、世の中のトレンドを読むときにも使えます。最近話題になっている作品のルックを見て、流行の正体が何の軸で起きているかを見極める。青の濃度が深い作品が増えているのか、肌のトーンの広がりを抑える方向が流行っているのか、コントラストの落とし方が変わってきているのか。4つに割って見ていると、流行が抽象的な雰囲気ではなく、具体的な軸の変化として見えてくる。

最近は、この見方をさらに拡張できないかとも考えています。ベクトルスコープの二次元表示ではなく、3Dの色立体の中で色分布の変化を追う。4つの軸はそのままに、可視化の解像度を上げていく方向です。現在進行形の試みで、まだ答えは出ていません。ただ、因数分解の先には、まだ余白があるという手応えはあります。


正解がない、という秩序

ここまで書いてきたのは、正解のない仕事の中で、判断を積み上げるための補助線の話です。グレーディングに答えはありません。ただ、4つの軸に分けておけば、今日はどの軸を動かしているのかを自分で言える。監督と話し合うときの言葉が揃う。昨日の判断を今日の作業に持ち込める。先週作ったパーツを、来月の作品で使える。正解がないことと、秩序がないことは、違う。

この4つの分け方は、AIの時代にこそ意味を持ちはじめている気がします。AIは今、膨大な学習データから「それっぽいルック」を出してくれます。便利です。ただ、そのアウトプットをそのまま使うと、どの作品でも似た空気感になる。AIの出力を4つの因数で読み、この軸は自分のルックで上書きする、この軸はAIに任せる、という判断ができる人が、結局は個性のあるルックを作れる。体系を持っているから、AIの上に乗れる。体系は、AIに負けないためではなく、AIと組むためにある。

正直に書けば、AIが4つの因数そのものを理解する日も、いずれは来ると思います。そのとき私の足場がまだ意味を保てるのか、答えは出ていません。ただ、答えの出ていない問いの上で毎日を選ぶのは、今までもそうしてきたことでした。これから先も、たぶん同じです。

冒頭に書いた「映画っぽく」という一言は、今でも監督から投げられます。昔と違うのは、その一言を聞いた瞬間に、4つの軸のどこに手が伸びるかが自分の中で決まっている、ということだけです。正解は相変わらずない。ただ、選ぶ筋道がある。カラーコレクションの因数分解は、整えるため。カラーグレーディングの因数分解は、選び続けるため。

そして、カラーグレーディングでもっとも話題に出る領域が、フィルムのルックです。